PADAARTHA
Jan 25, 2012
12:21pm
詩は、「現実における本当の指示対象」を直接示す事に失敗するわけだが、詩がみずからの「感性的」(パトローギッシュ)な特異性を止揚し、普遍的な芸術的インパクトを生み出すのは、まさしくこの失敗を通じてなのである。
この転換、すなわち、われわれと<モノそれ自体>との接触を阻む障害そのものは、われわれと<モノそれ自体>との直接的な同一化を可能にするものでもあると言う認識は、キリスト教的な同一化の形を規定している。つまり、それは、最終的には失敗との同一化なのである。したがってこういえよう。同一化の対象は<神>なのだから、ここでは<神>自身が失敗することがしめされねばならない、と。 - スラヴォイ・ジジェク「操り人形と小人」p134
この転換、すなわち、われわれと<モノそれ自体>との接触を阻む障害そのものは、われわれと<モノそれ自体>との直接的な同一化を可能にするものでもあると言う認識は、キリスト教的な同一化の形を規定している。つまり、それは、最終的には失敗との同一化なのである。したがってこういえよう。同一化の対象は<神>なのだから、ここでは<神>自身が失敗することがしめされねばならない、と。 - スラヴォイ・ジジェク「操り人形と小人」p134
Page 1 of 1